振袖は、「着る」だけじゃない。
大切な成人のお祝いの振袖だから、
そこには振袖と着る人の数だけ、
たくさんの想いがあります。
振袖にまつわる心温まるストーリーを
ご紹介します。

今から14年前、最愛の娘が入院した時のこと、同じ病室だった由美ちゃんは娘より一つ年下の5歳でした。 由美ちゃんは頭の手術をし、何歳まで生きられるかわからない状態でした。その後由美ちゃんは、両親の懸命の看護に応えるようにすくすく成長し、成人式を迎えることができました。 成人式には必ず振袖を着せて友達と一緒に成人式を迎えさせたい、それが両親の願いでした。私はこの仕事についたおかげで振袖選びのお手伝いをし、着付けをさせてもらうことができますが、由美ちゃんが後遺症で美容院にいけないことを忘れていました。

私は迷わず私にさせてほしいと両親にお願いしました。当日、他の人に迷惑にならないようにと、朝早くから着付けを始めました。 美しくなっていく娘の姿に何度もお母さんは目頭をおさえていました。

私は6歳で天国にいった娘とだぶり涙があふれました。娘に振袖を着せることはできませんが、今は一人でも多くのお嬢さんをきれいにすることが私の生きがいです。 振袖は元気なお嬢さんにとってもお身体の弱いお嬢さんにとっても平等なものです。

美しく胸をはって、 成人式を迎えていただきたいと思います。 振袖バンザイ。


暑い夏の日の午後、そのご一家が店を訪ねてこられました。

おばあ様が「私も招待されたの で一緒に来ました」と嬉し

そうに話しかけてくださいました。何枚か振袖を試着してい

ただき、最後はお父様もお気に入りの一枚に落ち着きました。

契約の段階で担当者とお父様とのやり取りを聞いていた娘さ

んが、急に泣き出してしまいました。学費や生活費と負担を

かけているのにこの上、高価な振袖を買ってもらうのは忍び

ないと。その姿を見て、久しぶりに家族の愛情の中で大事に

大事に育てられた娘さんに出会えた喜びで、私も思わず涙ぐ

んでしまいました。振袖を通じて、さまざまな家庭の姿、母

娘の姿が映し出されます。一枚の振袖が、これからの人生の

励みになるよう、そして幸せな思い出がしみ込んでくれるよ

う祈りながら、ご家族を見つめていました。そしてまた、あ

たたかい涙を一緒に流したいと願っています。


父親が入院していてお金がかかる。
そんな事情を察してか、私の振袖は、
おじいちゃんとおばあちゃんが作ってくれた。

あまり気がすすまなかったけど、
お母さんが言うので、
振袖を着て、病院へ見せにいった。

病室の他の人たちからは拍手喝采!

父親の目には涙。

私はこの時、初めて父親の泣く姿を見た。

看護婦さんも、お医者さんも、
みんなみんなもらい泣きしていた。


成人式の日、友達と4人で同窓会をしていた時。経緯は忘れたけれど、

ジャンケンで負けた人が親に電話して「生んでくれてありがとう」を

言おうという流れになった。電話がつながった時からこの台詞を言う

までの会話は自由、言った後電話を切るまでも自由。出身地の方言も

可。おふざけは厳禁、真剣に伝える事・・・というルール。なぜか皆本気

で、後には引かないとか言い出す始末。初っ端から私が負け、30分

前に用事で電話したばかりの父に電話する事になった。電話はつなが

り話し始めたものの前置きばかり長くなり、外野は野次飛ばし始める

しこっちは焦って頭が真っ白になった。昔は脱サラ親父なんて一生許

さない、恥ずかしいとしか思ってなかったけれど、自分も仕事するよ

うになって、最近では今の仕事をしている父はすごく誇りに思える。

そんな父の娘に生まれて本当によかったと思う。「生んでくれてあり

がとう」って言った時、顔上げたら友達皆がが泣いていた。何で泣い

てんの?でも「何だ、どうしたんだ?さっき話したばかりじゃないか。

きもの着てるんだろ?汚したらいけないから早く帰ってきなさい」と

言う父のほくほく顔が目に浮かんで、電話を切ってから、私も滝のよ

うに涙が出てきて声をあげて泣いてしまった。


中学時代、どうでもいいようなことから母親とケンカになったとき、 「そんな子に育てた覚えはない」と言われてキレた私は「産んでくれって頼んだ覚えはない」と怒鳴り返してしまいました。気づいたら口から言葉が飛び出していたのです。

怒られるかと思ったのに、母は黙ってキッチンで洗い物を始めてしまいました。 なんとなく背中が寂しそうな気がしたけれどそのままお互いに謝ることもなくなんとなく月日が過ぎて、なんだかザラザラとした後味の悪さだけが、かすかな記憶に残りました。 母親と一緒に振袖を買いに行った時、1回か2回しか着ないのにあんまり高いのを買ったらちょっと悪いかな?と思っている私に一番気に入ったのにしようと、やけに張り切って、嬉しそうにいろいろ選んでくれました。結局、なんかびっくりするくらい高い振袖になってしまって・・・。でも友達にも絶対に自慢できるなっ? なんて有頂天になりながら、振袖を選ぶ時の母の姿が印象的でした。

母親って自分が産んだ娘の振袖を選ぶのはすごく嬉しいんだなと実感したのです。ある日、戸籍謄本が必要になって産まれて初めて市役所に取りにいった時に、戸籍に「養女」の文字を見つけて、私は両親の本当の娘じゃなかったことを知りました。「産んでくれって頼んだ覚えはない」と言った時の母の後ろ姿が一気によみがえってきました。実の子じゃなかった悲しさよりも、そんなことを言ってしまったことが悲しくて、申し訳なくて涙が止まらなくなってしまったのです。お母さん、ごめんなさい。本当の娘じゃないのに、愛情たっぷりに育ててもらいました。 そしてあの振袖を選んでいる時の嬉しそうな笑顔・・・。

本当にごめんなさい。 そしてありがとう。


もうすぐ私は20歳になる。

私はお母さんとお父さんの愛情を今ものすごく感じている。 今まで、そして今この瞬間もどれだけの愛情を受けているのだろう。心から感謝している。

私が悩んでいたら、電話で話を聞いてくれた。私が交通事故を起こした時は、怒らずに力になってくれた。私が泣いて電話しても泣き止むまで話を聞いてくれた。私が学校をやめたいと言ったときも私のことを一番に考えてくれた。

どんなに大変でも、いつだって二人は私に笑顔で接してくれた。 どんなわがままを言っても、融通を利かしてくれた。どんな夢を語っても、いつだって応援してくれた。私がどんなに気弱になっても、あなたならできると信じてくれた。 どんなに頼っても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。 どんなに離れていても、いつだって気にかけてくれた。

時には厳しい事を言ってくれた。 けれど、一度だって手を上げて怒るような事はなかった。力任せに感情をぶつけることなく、いつも向き合ってくれた。 どんな言葉の裏にも、二人の大きな愛情を感じられた。

お父さんのようになりたい。
お母さんのようになりたい。

いつだって立派に働いている二人。
いつだって尊敬できる二人。

昔、お母さんが自分の誕生日に言ったよね。 誕生日っていうのは自分が生まれた日であると同時に、生んでくれたお母さんに感謝する日なんだよ。お母さんが一番頑張った日なんだよって。 当時小さかった私は、あまりぴんと来なかったけれど、あの時、おばあちゃんに感謝していたお母さんの事が、今は強く心に浮かんでくる。

今度の誕生日には、お母さんとお父さんにありがとうと伝えよう。生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。

そして春までにはなんとか就職して、いつも忙しく働いている二人に、なにかプレゼントをしてあげたいな。 まずは、とびっきりの笑顔でキレイになった振袖姿を見せたいな。待っててね、お父さん、お母さん。


今から14年前、最愛の娘が入院した時のこと、同じ病室だった由美ちゃんは娘より一つ年下の5歳でした。 由美ちゃんは頭の手術をし、何歳まで生きられるかわからない状態でした。その後由美ちゃんは、両親の懸命の看護に応えるようにすくすく成長し、成人式を迎えることができました。 成人式には必ず振袖を着せて友達と一緒に成人式を迎えさせたい、それが両親の願いでした。私はこの仕事についたおかげで振袖選びのお手伝いをし、着付けをさせてもらうことができますが、由美ちゃんが後遺症で美容院にいけないことを忘れていました。

私は迷わず私にさせてほしいと両親にお願いしました。当日、他の人に迷惑にならないようにと、朝早くから着付けを始めました。 美しくなっていく娘の姿に何度もお母さんは目頭をおさえていました。

私は6歳で天国にいった娘とだぶり涙があふれました。娘に振袖を着せることはできませんが、今は一人でも多くのお嬢さんをきれいにすることが私の生きがいです。振袖は元気なお嬢さんにとってもお身体の弱いお嬢さんにとっても平等なものです。

美しく胸をはって、 成人式を迎えていただきたいと思います。 振袖バンザイ。

暑い夏の日の午後、そのご一家が店を訪ねてこられました。おばあ様が「私も招待されたので一緒に来ました」と嬉しそうに話しかけてくださいました。

何枚か振袖を試着していただき、最後はお父様もお気に入りの一枚に落ち着きました。契約の段階で担当者とお父様とのやり取りを聞 いていた娘さんが、急に泣き出してしまいました。

学費や生活費と負担をかけているのにこの上、高価な振袖を買ってもらうのは忍びないと。その姿を見て、久しぶりに家族の愛情の中で大事に大事に育てられた娘さんに出会えた喜びで、私も思わず涙ぐんでしまいました。振袖を通じて、さまざまな家庭の姿、母娘の姿が映し出されます。一枚の振袖が、これからの人生の励みに なるよう、そして幸せな思い出がしみ込んでくれるよう祈りながら、ご家族を見つめていました。そしてまた、あたたかい涙を一緒に流したいと願っています。

父親が入院していてお金がかかる。そんな事情を察してか、私の振袖は、おじいちゃんとおばあちゃんが作ってくれた。

あまり気がすすまなかったけど、お母さんが言うので、振袖を着て、病院へ見せにいった。

病室の他の人たちからは拍手喝采!

父親の目には涙。 私はこの時、初めて父親の泣く姿を見た。

看護婦さんも、お医者さんも、みんなみんなもらい泣きしていた。

成人式の日、友達と4人で同窓会をしていた時。経緯は忘れたけれど、ジャンケンで負けた人が親に電話して「生んでくれてありがとう」を言おうという流れになった。 電話がつながった時からこの台詞を言うまでの会話は自由、言った後電話を切るまでも自由。 出身地の方言も可。おふざけは厳禁、真剣に伝える事・・・というルール。 なぜか皆本気で、後には引かないとか言い出す始末。初っ端から私が負け、30分前に用事で電話したばかりの父に電話する事になった。

電話はつながり話し始めたものの前置きばかり長くなり、外野は野次飛ばし始めるしこっちは焦って頭が真っ白になった。

昔は脱サラ親父なんて一生許さない、恥ずかしいとしか思ってなかったけれど、自分も仕事するようになって、最近では今の仕事をしている父はすごく誇りに思える。 そんな父の娘に生まれて本当によかったと思う。

「生んでくれてありがとう」って言った時、顔上げたら友達皆が泣いていた。

何で泣いてんの?? でも「何だ、どうしたんだ? さっき話したばかりじゃないか。きもの着てるんだろ? 汚したらいけないから早く帰ってきなさい」と言う父のほくほく顔が目に浮かんで、電話を切ってから、私も滝のように涙が出てきて声をあげて泣いてしまった。

中学時代、どうでもいいようなことから母親とケンカになったとき、 「そんな子に育てた覚えはない」と言われてキレた私は「産んでくれって頼んだ覚えはない」と怒鳴り返してしまいました。気づいたら口から言葉が飛び出していたのです。

怒られるかと思ったのに、母は黙ってキッチンで洗い物を始めてしまいました。 なんとなく背中が寂しそうな気がしたけれどそのままお互いに謝ることもなくなんとなく月日が過ぎて、なんだかザラザラとした後味の悪さだけが、かすかな記憶に残りました。 母親と一緒に振袖を買いに行った時、1回か2回しか着ないのにあんまり高いのを買ったらちょっと悪いかな?と思っている私に一番気に入ったのにしようと、やけに張り切って、嬉しそういろいろ々選んでくれました。結局、なんかびっくりするくらい高い振袖になってしまって……、でも友達にも絶対に自慢できるなっ? なんて有頂天になりながら、振袖を選ぶ時の母の姿が印象的でした。

母親って自分が産んだ娘の振袖を選ぶのはすごく嬉しいんだなと実感したのです。ある日、戸籍謄本が必要になって産まれて初めて市役所に取りにいった時に、戸籍に「養女」の文字を見つけて、私は両親の本当の娘じゃなかったことを知りました。「産んでくれって頼んだ覚えはない」と言った時の母の後ろ姿が一気によみがえってきました。

実の子じゃなかった悲しさよりも、そんなことを言ってしまったことが悲しくて、申し訳なくて涙が止まらなくなってしまったのです。お母さん、ごめんなさい。

本当の娘じゃないのに、愛情たっぷりに育ててもらいました。そしてあの振袖を選んでいる時の嬉しそうな笑顔……。

本当にごめんなさい。そしてありがとう。

もうすぐ私は20歳になる。

私はお母さんとお父さんの愛情を今ものすごく感じている。今まで、そして今この瞬間もどれだけの愛情を受けているのだろう。心から感謝している。

私が悩んでいたら、電話で話を聞いてくれた。私が交通事故を起こした時は、怒らずに力になってくれた。私が泣いて電話しても泣き止むまで話を聞いてくれた。私が学校をやめたいと言ったときも私のことを一番に考えてくれた。

どんなに大変でも、いつだって二人は私に笑顔で接してくれた。どんなわがままを言っても、融通を利かしてくれた。どんな夢を語っても、いつだって応援してくれた。私がどんなに気弱になっても、あなたならできると信じてくれた。どんなに頼っても、嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。どんなに離れていても、いつだって気にかけてくれた。

時には厳しい事を言ってくれた。けれど、一度だって手を上げて怒るような事はなかった。力任せに感情をぶつけることなく、いつも向き合ってくれた。 どんな言葉の裏にも、二人の大きな愛情を感じられた。

お父さんのようになりたい。
お母さんのようになりたい。

いつだって立派に働いている二人。
いつだって尊敬できる二人。

昔、お母さんが自分の誕生日に言ったよね。誕生日っていうのは自分が生まれた日であると同時に、生んでくれたお母さんに感謝する日なんだよ。お母さんが一番頑張った日なんだよって。当時小さかった私は、あまりぴんと来なかったけれど、あの時、おばあちゃんに感謝していたお母さんの事が、今は強く心に浮かんでくる。

今度の誕生日には、お母さんとお父さんにありがとうと伝えよう。生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。

そして春までにはなんとか就職して、いつも忙しく働いている二人に、なにかプレゼントをしてあげたいな。まずは、とびっきりの笑顔でキレイになった振袖姿を見せたいな。

待っててね、お父さん、お母さん。

佐沼屋呉服店では、振袖にまつわる皆様の感動エピソードを募集しています。お問い合わせフォームにて「お問い合わせカテゴリー」から「その他」をご選択いただだき、お問い合わせ内容に「振袖感動ストーリー」とつけてお送りください。

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